
日本の復活を支えた「もったいない」精神 | はじめに
このたびブログを始めるにあたり、どんなテーマで書こうか迷いましたが、「勿体ない・もったいない」に決めました。きっかけは、あるYouTube番組でしたが、私の中でぼんやりしていたある事がことがスッキリしたからです。
それは、「日本が幾度もの困難から、不死鳥のように蘇る力の源泉は、日本人の『もったいない精神』にあったのではないか」と思いついたことでした。(これは私の私見です)
歴史を振り返ってみると、日本の大きな転換期にはいつも「もったいない」という精神が働いていたように思います。まるで、この言葉がピンチのたびに私たちを救ってくれた、そんな気がするのです。
このブログでは、日本人の「もったいない精神」に関わるあれこれを雑学的に書いてみたいと思います。調査能力がさほどありませんのでAIの力を借りながらとなりますが、内容の違いや誤字があるかと思います。どうぞ気軽にお読みください。
明治維新と「もったいない」
考えてみますと、明治維新なんてまさにそうでした。それまで鎖国していた国が、いきなり世界の舞台に放り出されたわけです。欧米の技術を必死に追いかけなければいけませんでした。
しかし、何もないところから始めたわけではありません。それまで培ってきた刀鍛冶の技術や、和紙を作る知恵、木材を無駄なく使う職人技。そういう「元々あるもの」を「勿体ない」と捨てずに、新しい時代のために最大限に活かしたんですよね。
もし彼らが、全部捨てて「ゼロからやろう」としていたら、あんなに早く近代化は成し遂げられなかったのではないでしょうか。日本の得意な「改良」や「応用」の精神は、現在の「改善」まで、きっとこの「もったいない」から生まれたのだと思います。
関東大震災と「もったいない」

1923年(大正12年)9月1日の関東大震災。あの時、東京は文字通り焼け野原になってしまいました。何もかもが失われて、普通なら心が折れてしまうような状況です。
でも、人々は残された瓦礫を「勿体ない」と見て、新しい建物の材料にしたり、生活の足しにしたりしました。これは単に物を節約するということだけでなく、隣にいる人との繋がりを「勿体ない」と大切にしたことでもあります。
助け合わなければ生きていけない。少ない食料を分け合い、共に手を取り合って街を再建していく。この時の「もったいない」は、物を大切にする心と、人と人との絆を大切にする心が結びついた、特別なものだったように思います。
第二次世界大戦後の復興と「もったいない」
そして、戦後です。これはもう、日本の「もったいない」精神が究極の形で発揮された時代と言えるでしょう。何もかも失われた中で、人々は本当に「無から有を生み出す」しかなかったのです。壊れた軍需工場から鍋や釜を作り、米のとぎ汁や野菜の切れ端も無駄にしませんでした。服は継ぎを当てて着続け、壊れたものは修理してまた使う。あの時代を生きた人々にとって、「もったいない」は単なる言葉ではなく、生き抜くための知恵であり、哲学だったのでしょう。
この「あり合わせのもので何とかしよう」という強い精神が、その後の高度経済成長の原動力になったことは間違いないと思います。
東日本大震災後の復興と「もったいない」

2011年3月に発生した東日本大震災、その後の復興における「もったいない」の精神は、関東大震災とは少し違う形で発揮されました。
関東大震災の時は、物が本当に何もない時代でした。だから、瓦礫一つでも「もったいない」と拾い集め、生活を立て直す。それは、**「物を無駄にしない」**という、生きるための切実な知恵だったのです。
でも、東日本大震災では、もっと広い意味での「失うことへのもったいない」として現れたように感じます。
津波で被災した地域では、せっかく育てた魚や野菜が市場に出せなくなってしまいました。でも、そこでただ諦めるのではなく、規格外のものを新しい商品にしたり、これまで活用していなかったものに光を当てたりする動きが生まれたのです。
これは、「この地域の伝統や産業を失うのは、もったいない」という強い思いから生まれた、新しい価値を生み出す力でした。
それに、支援物資を無駄にしないように、被災地のニーズに合わせて工夫して活用したり、遠く離れた場所からでも被災地の商品を買うことで、「この文化や技術を失うのはもったいない」と、みんなで支え合う気持ちが生まれたりしました。
東日本大震災の「もったいない」は、物を大切にするだけでなく、地域や人との繋がりを失わないように、みんなで力を合わせる気持ちだったのだと思います。
こうして見ると、日本の歴史が大きな壁にぶつかるたびに、「もったいない」という言葉が、私たちの心の中に息づく、とても強い力になっていたことがわかります。それは、単なる貧しさからくる節約ではなく、今あるものへの感謝と、未来への希望を無駄にしたくないという、とても豊かな心だったのではないでしょうか。
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